雅歌〈1〉王と田舎娘の身分違いの恋

この夏の聖書通読チャレンジ期間中に、まずは短編プランを思い付き、その中でも『雅歌』が一気に読めそうでしたので、早速読み進めてみましたところ、4章に入ったその時、我が目を疑いました。

まさかの性愛表現…
しかも入念な…
これって聖書でしょ!?
聖書…です…ね…
なぜ?
なぜ??
なぜーーーーー???

聖書らしからぬ甘ったるい描写オンパレードに嫌気が差し、けしからん!とさえ思い、思わず書を閉じました。
いったい何がどうなって、神様のみ言葉集である聖書にアダルト詩集が編纂されてしまったのか、頭の中はクエスチョンマークだらけ。
考えれば考えるほど、ナゾナゾが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、がんじがらめにされそうでしたので、ひとまず封印を決めました。

それから通読達成をし、感極まる歓びの余韻に浸りながらも、間髪入れず二回目の通読態勢に入ったつい最近、

「忌み嫌わずに、もう一度“雅歌”を読んでごらんなさい。」

との声なき声が聞こえてきました。
こういうケースは間違いなく、聖霊様です。
そして、こういうお導きは命令に近いものがあります。
たじろぎました。
が、父なる神様とイエス様から出ておられる御霊には逆らえないことは重々承知でしたので、レット・イット・ビー精神で従いました。

あぁーまたこれか…と重い気持ちで冒頭を読み始めたその時、

もしかしてこれって、イエス様教会の関係のこと!?

というインスピレーションが降りて来てしまったのです。

間違いない!!!

一気にベールが剥がされ、見えなかったものが、隠されていたものが顕になったのです。

それならわかる!!!
聖霊様ったら(笑

では行ってみましょう。

作者であり、作品の中で王として登場する人物はソロモンです。
イスラエルが王政に入ってから、最初のサウル王の次のダビデ王の息子であり、その次に王となった方です。

話を進める語り手は「シュラムの女」となっており、老齢で弱ったダビデ王の身体を暖め、世話をするために侍らされた、シュネム人の女アビシャグではないかと言われています。
このように、老人が若い処女と添い寝をすることで若さを回復する行為を「シュナミティズム」と言い、古代から世界各地でけっこうあったようです。
まぁ迷信の類とくくっていいと思いますが。

そして、第三の登場人物は「エルサレムの娘たち」と呼ばれる役柄で、シュラムの女に呼応するような形の合唱隊を成しています。
いわゆるミュージカルの脚本のような感じですね。

ソロモン所有のぶどう園の一部の管理を任されている家族の一員として、そこで働いているシュラムの女は、ある日見かけたソロモンに憧れの気持ちを抱きます。

あの人が私に
口づけしてくださったらよいのに。
あなたの愛はぶどう酒よりも快く、
あなたの香油のかおりはかぐわしく、
あなたの名はそそがれる香油のよう。— 雅歌 1:2-3
Let him kiss me with the kisses of his mouth – for your love is more delightful than wine.
Pleasing is the fragrance of your perfumes; your name is like perfume poured out. — Song of Songs 1:2-3

「口づけ」の部分は

主の力強いみ言葉を、目の前でもっといただきたい!

と、解きました。
神のみ言葉は大いなる喜びで酔わせます。
これホントです。通読してからというもの、み言葉無しには行きられない身体となりました。
彼女もみ言葉を聞いて、熱烈な求道心が湧き上がった頃のような気がします。

もちろん、イエス様はかぐわしい花婿、かぐわしいキリストと呼ばれております。

私をご覧にならないでください。
私は日に焼けて、黒いのです。
私の母の子らが私に向かっていきりたち、
私をぶどう畑の見張りに立てたのです。— 雅歌 1:6
Do not stare at me because I am dark, because I am darkened by the sun.
My mother’s sons were angry with me and made me take care of the vineyards. — Song of Songs 1:6

自分に自信がないのですね。
強制労働で日に焼けてしまったと。
しかも兄弟に脅迫されて。
さながらシンデレラのようですね。
もしくは、兄弟、すなわち私の母の子らという意味は、エルサレムを母と見立て、その民たち、すなわち、キリストへの信仰が無い人々という、裏の意味があるように思えます。
「いきりたち」という言葉に、まるで迫害のような迫力を感じますので。

私たちクリスチャンも、このような負い目を主に対して持ってないでしょうか。
キリストに似た者になるのだと言われても、どのようにしたらなれるのか、全く持って自信が無い。その道は果てしなく遠い。
福音を宣べ伝えると、とんでもない言葉を返され、冷ややかな目で見られたり、蔑まされたりするなどなど。
確かに主を信じて愛しているけれども、そのジレンマに悩まされているような…。

ではその主は、ご自分の信徒たちをどのように思っていらっしゃるのでしょうか。どのような思いを抱いておられるのでしょうか。

ああ、わが愛する者。
あなたはなんと美しいことよ。
なんと美しいことよ。
あなたの目は鳩のようだ。— 雅歌 1:15
How beautiful you are, my darling!
Oh how beautiful!
Your eyes are doves. — Song of Songs 1:15

「愛する者」と仰ってくださいました。
「美しい」とまで仰ってくださいました。
鳩は聖霊の象徴であり、平和の象徴です。
言わんとすることが伝わりますよね。

更に!

わが愛する者が娘たちの間にいるのは、
いばらの中のゆりの花のようだ。— 雅歌 2:2
Like a lily among thorns is my darling among the young women. — Song of Songs 2:2

あなたはゆりの花だけれども、他の娘たちはいばらだ。
と、ハッキリ宣言されました。
聖書の中でのゆりの花は、「純潔」「無垢」「威厳」の意味があり、いばらは聖書全般で忌み嫌われるものとして表現されています。
主は、ご自分をまだメシヤとして見ていない民であるエルサレムの娘たちと、主を迎え入れ、慕い求め続けているシュラムの女とをハッキリ区別されました。
神様は外見を問わず、心を見られるのだという事実は、前記事『ザアカイの豪快爽快な悔い改め』で書いた通りです。
顔が黒かろうが何だろうが、信仰がスタートした時の状態の、そのありのままの姿を、神様は美しいと見ておられるのですね。

如何でしょうか。
負い目があってもなお、「あなたに不法はない。あなたはそのままで美しい。」と仰ってくださる主。
私たちはまず、主から愛されたのだという事実を認識しなければならないようです。
王の王と言われているイエス様、その王様が平民の私たち(笑)を先に愛してくださったことを考えると、本当に気絶ものですよね。

但し、男性信徒の場合はどのように適用させればよいのかがチョット…(汗

女の熱心な信仰心に呼応するように、王は自分の住まいから下って来て、彼女の故郷で二人だけのデートをします。
七星的にはこれは彼女の夢=ビジョンではないかと思います。
王はとても優しく素敵な男性で、終始彼女への気遣いを見せながら、「時が熟したので、私の王国へいらっしゃい。」と、花嫁を迎え入れる準備ができたことを告げます。

わが愛する者、美しいひとよ。
さあ、立って、出ておいで。
岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。
私に、顔を見せておくれ。
あなたの声を聞かせておくれ。
あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。— 雅歌 2:13-14
Arise, come, my darling;
my beautiful one, come with me.
My dove in the clefts of the rock,
in the hiding places on the mountainside,
show me your face, let me hear your voice;
for your voice is sweet,
and your face is lovely. — Song of Songs 2:13-14

彼女は主を求めてから時が経ち、機が熟したと主からみなされました。
何処にも隠れないで、自分の足で立って、主の元へ出て行かなければなりません。
どれだけ故郷の田舎の人々が驚こうと、キリストに従う者として、旗を揚げなければならない時期が来たのです。
白い目で見られるかもしれません。
いわれのない迫害を受けるかもしれません。
確かに主を愛し求めていても、この世のことを考えると不安や恐れが生じてきます。
ですが、そんなことはイエス様はとっくにご承知で、だからこそ、安心してついて来なさいと、彼女に愛の保証を与えています。

私の愛する方は私のもの。
私はあの方のもの。
あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。— 雅歌 2:16
My beloved is mine and I am his;
he browses among the lilies. — Song of Songs 2:16

女は完全な信仰告白ができました。
お互いの所有権を理解しました。
夫婦はお互いのものであり、そこに完全な一心同体を見ます。
主と、主に従う者の関係も全く同じで、夫と妻のような一心同体が求められます。
旧約時代の主はイスラエルを妻として娶り、新約時代の主は教会を妻となるべく花嫁と認め、婚約を交わしました。
古代イスラエルにおいて、婚約は結婚と同等の重みがありました。
その関係に、裏切りは存在しません。

私の愛する方よ。
そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、
あなたは帰って来て、
険しい山々の上のかもしかや、
若い鹿のようになってください。— 雅歌 2:17
Until the day breaks
and the shadows free,
turn, my beloved,
and be like a gazelle
or like a young stag
on the rugged hills. — Song of Songs 2:17

「群れを飼っている」という表現は、ソロモンであればイスラエルの民を治めている、イエス様であれば信仰者を牧していることになります。
また、この場合の「ゆりの花」は比喩で、神に選ばれた者という意味が隠されています。

花嫁は昼間に行われている花婿の仕事を理解し、「夕暮れになったらあなたは帰って来て、水入らずの愛を楽しめるわね。」と、将来の夫に対して信頼しきって安心しきっている様子が伺えます。
私たち花嫁も、花婿に対してこのような絶大な信頼を寄せることが、必要不可欠ですね。

私は、夜、床についても、
私の愛している人を捜していました。
私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。
さあ、起きて町を行き巡り、通りや広場で、
私の愛している人を捜して来よう。
私が捜しても、
あの方は見あたりませんでした。
町を行き巡る夜回りたちが私を見つけました。
「私の愛している人を、
あなたがたはお見かけになりませんでしたか。」
彼らのところを通り過ぎると間もなく、
私の愛している人を私は見つけました。
この方をしっかりつかまえて、放さず、
とうとう、私の母の家に、
私をみごもった人の奥の間に、お連れしました。— 雅歌 3:1-4
All night long on my bed
I looked for the one my heart loves;
I looked for him but did not find him.
I will get up now and go about the city,
through its streets and squares;
I will search for the one my heart loves.
So I looked for him but did not find him.
The watchmen found me
as they made their rounds in the city.
“Have you seen the one my heart loves?”
Scarcely had I passed them
when I found the one my heart loves.
I held him and would not let him go
till I had brought him to my mother’s house,
to the room of the one who conceived me. — Song of Songs 3:1-4

女は不安と戦う日々の中で、夢を見ました。
寝ても覚めても花婿のことを考える毎日。
でも会えないうちに、彼の心が離れていってしまうかもしれない…

これは試みの期間ですね。
私たち花嫁にもそのまま当てはまるかと思います。
現在のクリスチャンは、愛してやまない花婿である主の御姿を知りませんし、御顔を拝することも叶いません。
ただ、聖書に書かれてあるイエス・キリストの生と死と復活を信じ、主として迎え入れました。
でも、天の御国におられる王はあまりにもかけ離れた世界にいらっしゃるように感じられ、自分との絆はどうなのか?と、疑心暗鬼になることもあるかと思います。

が、主は再びこの地上に戻って来られます。
神様はご自身へ誓われたことは、必ず必ず成就なさるお方です。
その試みの期間に、あらゆるものを捨てて、主にお捧げする準備をし、忍耐の二文字を持って耐え忍び、シュラムの女のように主にしがみつき続けることが、とても大切と心より思います。
その先に、主との婚宴が待っています。
その時、顔と顔を合わせて花婿を見ることになります。
今は何も知らされていなくとも、その時に全てが明らかになります。

見なさい。あれはソロモンの乗るみこし。
その回りには、イスラエルの勇士、
六十人の勇士がいる。
彼らはみな剣を帯びている練達の戦士たち。
夜襲に備えて、おのおの腰に剣を帯びている。— 雅歌 3:7-8
Look! It is Solomon’s carriage,
escorted by sixty warriors,
the noblest of Israel,
all of them wearing the sword,
all experienced in battle,
each with his sword at his side,
prepared for the  terrors of the night. — Song of Songs 3:7-8

花婿が花嫁を迎えに来ました!何とも豪華な花婿行列です。
長い道のりの間、花嫁の安全を守るために、精鋭部隊の護衛も引き連れて来てくださいました。
この時、キリストの花嫁たちは、一挙に天に引き上げられます。
主は最強の御使い軍団を引き連れ、あらゆる邪悪な霊の勢力から花嫁たちを守ってくださいます。
その万軍の主が、私たちが信じて拠り頼んでいる主の主王の王イエス・キリストです。
このことを今日からしっかと心に留めておいてくださいね。
一挙に引き上げられる「携挙」については、また後日の記事にて詳しく説明させていただきます。

婚姻と祝宴も終わり、ここから床入れとなりますが、大切なことだけ抜き出してみます。

私の妹、花嫁よ。
あなたは私の心を奪った。
あなたのただ一度のまなざしと、
あなたの首飾りのただ一つの宝石で、
私の心を奪ってしまった。— 雅歌 4:9
You have stolen my heart, my sister, my bride;
you have stolen my heart
with one glance of your eyes,
with one jewel of your necklace. — Song of Songs 4:9

喜びなさい!喜びおどりなさい!!(爆
世界中で御名を知らない者はいないであろうイエス・キリストから、このように言われたらあなたならどうしますか?
私は耐えられそうにありません。嬉しすぎて(ポッ)

それはさておき、主の愛の中で私たちはこのように見られて思われているということが判れば、これからの信仰がもっと加速するでしょうし、させなければいけないと、肝に命じました。

古代イスラエルでは、愛する女性や妻を「妹」とも呼ぶ慣わしがあったようです。
そして、イエス様の場合、父なる神様の長子となりますので、クリスチャンは互いに「兄弟姉妹」と呼びますしね。
しかし、男性信徒の場合は「私の弟、花嫁よ。」と、お呼びになられるのでしょうか(大汗

私の妹、花嫁は、
閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。— 雅歌 4:12
You are a garden locked up, my sister, my bride;
you are a spring enclosed, a sealed fountain. — Song of Songs 4:12

私の花嫁は処女であった…ということですね。
霊的には、主にお会いするまで信仰を固く守ってきた者よ、という意味になります。
要するに、私の前であなたは一切汚れていない、不法は見られない、ということの比喩でもあります。
元々は神様から勝手に離れ、罪の中に死んでいた野獣のような人間を、このようにまで見てくださる神様の愛は、本当に気高く素晴らしい至上の愛だと思います。
皆さん、もっと自信を持ちましょう!

北風よ、起きよ。南風よ、吹け。
私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。
私の愛する方が庭に入り、
その最上の実を食べることができるように。— 雅歌 4:16
Awake, north wind,
and come, south wind!
Blow on my garden,
that its fragrance may spread everywhere. — Song of Songs 4:16

花嫁が固く守ってきたものが、ここで咲き乱れます。
二人は一体となりました。
霊的には、主への明け渡しが完成したことになります。

『創世記』に記述されているように、父なる神様は、結婚という形態の中で男と女が一体となることを望んでおられました。
不倫はバツでしたし、再婚に関しては色々規定を設けられておりました。
ですので、婚姻の中で完全に解放された男女の営みは聖なるものと見られ、祝福されていました。
その基準に達した男女の愛が、『雅歌』に描かれているわけですね。
そして、肉的なベールを剥がすと、主である花婿と教会である花嫁が結婚において一体となることが、読み取れると確信しました。

過去を悔い改め、キリストに従うことを決意した人間を、主はこよなく愛してくださり、花嫁として相応しい器になるよう、訓練して整えてくださり、最終的には王の王に相応しく美しく着飾らせてもくださいます。
シンデレラも吹き飛ぶ、それを遥かに凌駕したストーリーですよね。

でも、ファンタジーではありません。
神様のご計画はそのようになるのですから。

この記事を読んでくださったあなたが、主の大きな愛に留まり、更に深い信仰生活を送られることを心より願っております。

ではでは、次回で最終回となります。まだまだあるんですよ〜ガンバリます!!!

しかしながら、男性信徒の場合は何と申し上げたらよいのかゴホゴホ…(悩

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