聖書通読で目からウロコだった旧約聖書

聖書を読破しました!
新約旧約併せてです。
クリスチャン用語で言うと「通読」ですね。

よくぞ来た道2071ページ(新改訳第3版)!!

ですが実のところ、未だに信じられません。

早くて一年プラン。
ヘタすると二年プラン。。

ぐらいに思っていましたので。

それをこの夏の40日間で読破したのですから、
自分を褒めてやろう…というよりは、
そのあまりの異常行動(!?)に我ながら放心状態だったりします。

では何故、何かに取り憑かれたように読んでしまったかと言いますと…
その最大の原因及びきっかけは『黙示録』でした。

つまみ食い程度の聖書拝読の日々の中、
フト魔が差して(?)『黙示録』を読み進めていったところ、
何とソコにはこの世の終わりが記されているではありませんか!(驚

ショックショック大ショック!!!

っとまぁ、聖書が「この世の始まりから終わりまでが記述されている本」という知識はどなたでもお持ちかとは思うのですが、どこかのトンデモ本とは聖別されるべき真実の書に間違いなく書かれてあったことにより、襟を正さざるを得ない心境となった次第です。

これは大変なことになった。。。

そこで思うところもあり、闇世界が支配するこの世の仕組みの情報を吸い上げれるだけ吸い上げた結果、世界が、地球が終わる前兆を見て取ったその時、

あぁ本当に大変なことになってしまった。。。
この世の終わりはそう遠い先の話ではない。。。

いえいえ、お茶を濁すのはヤメましょう。

近い将来=もう間もなくである!
との結論に達しました。
悲しいですが致し方ありません。
聖書預言の的中率は100%ですので。

しかも長寿を全うすることも叶わない。。。(苦

と言いつつ、「福音の三要素」を心より信じているキリスト者には「永遠のいのち」が与えられる…といった神様のマスタープランがありますので、本音は悲しくないのですが(笑

その福音の三要素とは…

〈1〉イエスは私たちの罪のために死なれた
〈2〉死んで墓に葬られた
〈3〉三日目に復活された

ですが、

どれだけ礼拝に出席しようと
どれだけ教会に奉仕しようと
どれだけ他人に親切にしようと

以上の三要素を信じていなければ救われませんし、神様の怒りから開放されませんし、永遠のいのちをいただくことはできません。
この辺りに関してはまたの機会にお話させていただきますね。

そんなこんなで、神様のみ言葉を全ていただかないことには死ぬに死ねないと覚悟した私は、

まずは新約聖書を読み直し

ただただチェックが増えることを励みにしながら、旧約聖書への未知の旅へと飛び出しました。

が、決死の覚悟かと思いきや意外や意外そうでもなく、

驚きの連続
感動の連続で

あっという間に読破することができました。
神様とはどういうお方なのか?
の一心でしたので、何の苦痛もなく読み進められました。

要した期間は40日。
40という数字は神様からの訓練の期間と言われていますので、確かにそうだったのだなと感慨深いですね。

ところで、「クリスチャンに最も読まれない本」は何かご存知ですか?

ハイ、旧約聖書なんです。
出エジプト記』の途中で全員つまづく…と、牧師からよく聞いていましたし、大先輩たちからも「実は旧約は読んでなかったりするのよね〜」と、聞いておりました。

確かに新約は「愛と赦しの神様」
旧約は「容赦なく裁く厳しい神様」

とのイメージが持たれやすいですし、昨年のヒヨッコ七星も「コワイコワイ!」を連発しながらつまづき、いつか成長してから読めばいいと、勝手な自己判断を下していました。

が、とんでもございません。
それは全く持って誤解でした。

要するに新約と旧約はコインの裏表なのです。
答え合わせなのです。
新約を読めば旧約がそうなんだ!となりますし、
旧約を読めば新約への理解がなるへそ~となります。
驚きました。

しかもしかも!

新約の主が仰っていることと
旧約の主が仰っていることは
全く同じなのです。
口調さえ同じに思えます。
正に丸コピ??

わたしと父とは一つです。
—ヨハネの福音書 10:30
I and the Father are one.
— John 10:30

わたしを見た者は、父を見たのです。
—ヨハネの福音書 14:9
Anyone who has seen me has seen the Father.
— John 14:9

答え合わせをした私は驚いて驚きました。
その時発作的に「あ゛ーーーーー!!!」と叫びながら立ち上がりましたので、相方がスッ飛んで来たくらいです。

クリスチャンになられた特に女性は

イエス様に心惹かれて
イエス様を慕い求めて
イエス様一途LOVE

な方が多いと思われますが、だからこそ旧約を読んでいただきたいですね。
旧約の主はメチャクチャ情熱的でカッコイイですよ〜。

そしてとっておきをもうひとつ。

ミデヤンの地でしゅうとの羊を飼っていたモーセが神の山ホレブ(シナイ山)にやって来た時、柴の中の火の炎から現れたお方は、受肉前のイエス・キリストだったのです。

旧約で「主の使い」「神の御使い」と表現されるお方はイエス様です。
そしてその表現においてさえ、ご自身のご権威で語られています。
モーセに名前を請われた主は

「わたしは、『わたしはある』という者である。」
—出エジプト記 3:14
“I AM WHO I AM.” — Exodus 3:14

と、お答えになられました。
そしてまた

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
—ヨハネの福音書 8:58
“Very truly I tell you,” Jesus answered, “before Abraham was born, I am!”
— John 8:58

と、パリサイ人たちにご自分を明かされました。
それを聞いた彼らはイエス様を石打ちにしようとしました。
何故でしょうか?

それは「エゴー・エイミ」=”I AM”=「わたしはある」と、神がご自分を指して言われた名前と同等としたことをユダヤ人が理解したからです。
神への冒涜と思ったのですね。

このように、新約に於けるイエス様は「わたしは〜です」を全て「エゴー・エイミ」でご自身のご性質を示されています。
それを聞いた人がその場で倒れるというエピソードもあるくらいです。

自分の目の前に旧約時代の主がいらっしゃる!?
さぞかしさぞかし驚かれたことでしょう。

結果、アブラハムもモーセもイエス様にお会いして、個人的な交わりを持たれていたということになりますね〜ゾクゾクします。

そういうワケで、ぜひぜひ旧約聖書をお読みいただきたいと願っています。
もしモーセ五書はチョット…という方には、『ルツ記』と『ヨナ記』がオススメです。
旧約では異例なほどページ数が少ないですし、まずは物語として読んでみて、それからどういう教えが潜んでいるのかを読み解いていくのもなかなかに乙ですので。

それにしても書き込み線が多すぎて、重要と思ったみ言葉が目立たなくなってしまいましたが、読めば読むほど飢え乾き、只今現在は二度目の通読態勢に突入しています。

ともかく旧約聖書を読破できたことで、更に主への想いが深くなり、個人的な関係を大胆に築くこともでき、自己の信仰が急激に成長してきました。
40日ビフォーアフターでは別人のようです。

本当に主は生きておられます。
祈る度に答えをいただいています。
軽い注意やお叱りもあります。
でもそれがとてもとても嬉しくって。
真実なお方が生きておられる証明ですから。

さぁ、旧約聖書を急いで読み始めてみて下さいね。

もう間もなくこの世は終わりますから。。。
アーメン

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