以前からとても興味があった、映画『天国は、ほんとうにある/Heaven is for Real』を観ました。
穿孔性虫垂炎の手術で生死の境をさまよった4歳のコルトンくんは、奇跡的に一命をとりとめた後、驚くべきことを両親に話し出しました。
それは…
聖書の内容とあまりにも一致する天国の話でした。
そう、彼は臨死体験で天国へ行って来たのです。
周りの大人たちはそれはそれは驚きました。
米国ネブラスカ州の小さな町の教会の牧師であるお父さんは、信じてあげたいけれど、子供特有のファンタジーだと思いました。
自宅で讃美歌コーラスを教えているお母さんは、毎晩読み聞かせしている聖書の絵本の影響でしかないと思いました。
それでもコルトンくんは折りに触れ、気負うことなく天国での話を続けます。
あぁなるほど…と思いました。
だって、イエス様は天国があると仰っています。
聖書にも書かれています。
基本のキです。
ですので、
コルトンくん、実体験を話してくれてありがとう!
と、素直に感謝しました。
ところがその話が伝わるにつれ、牧師家族は奇異な目で見られ、お父さんは知らない人からイヤミを言われたり、役員からは「後任の牧師を探す」とまで言われたりで、薄給で家計が圧迫されている中、心身共に追い詰められていきます。
そこで思いました。
あれっ?アメリカってキリスト教国のはず。
カトリックの事情はよく判らないけれど、
プロテスタントであれば聖書主義なワケよね。
牧師たるもの、旧約新約併せてウン十回精読してるでしょ?
役員だって教会員だって、何回か通読ぐらいしてるわよね?
それがこの体たらくぶり。
何でやねん!?
拳を握りました。
御子を信じて通せば、父なる神様が原罪を赦して下さり、
イエス様を迎え入れてキリスト者となれば、
天国への道が約束されている
と、習ったではありませんか!
そもそも牧師のお父さん、
あなたはそれを説教で何万回も教えていたのではないですか?
ウーム。
もしかしたら今のアメリカはナンクリが多いのだろうか。
※ナンクリとはナンチャッテクリスチャンの略です。
であればいずれ渡米し、その腐った根性に喝を入れてやりましょうゾ!!(炎
とまで思いました(笑
それはさておき、あることがきっかけで、お父さんは息子の話を信じざるを得ない状況に陥ります。
最後まで疑っていたお母さんも、コルトンくんが決して知り得ない話を始めたため、言葉を失います。
それは…
会ったこともない顔も知らない曾お爺ちゃんに会った。
お母さんのお腹の中で亡くなったお姉ちゃんに会った。
それらのことをいとも簡単に告げたからです。
もちろん、コルトンくんは亡くなったお姉ちゃんのことは知らされていませんでした。
しかも、曾お爺ちゃんはメガネをかけていなくて、若いお兄さんだったそうです。
天国では若返るんですね(驚
希望が持てましたププ^^
そのような驚愕の事実を告げられたお父さんもお母さんも、
そして周りの大人たちも、
コルトンくんによって心を変えられていきます。
彼の屈託の無い表情がとても可愛くて、観る者の気持ちをほぐしてくれますし、
たまたまお父さんが大怪我をした時の治療代を病院へ支払いに来た時に、小児病棟でお迎えが近い女の子を見付けて走り寄り、
「大丈夫だよ、(天国は)怖くないからね。」
と、彼女を励ましたコルトンくんの優しさに、ホロっとしてしまいました。すごく癒されました。
周りの大人たちが何を言おうと、自分が行って見てきた世界をそのママ伝え続ける幼な子。
我が主イエス様はこう仰られました。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
— マルコの福音書 10:14-15
“Let the little children come to me, and do not hinder them, for the kingdom of God belongs to such as there.
Truly I tell you, anyone will not receive the kingdom of God like a little child will never enter it.”
— Mark 10:14-15
これは、
イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。
— マルコの福音書 10:13-14
People were bringing little children to Jesus for him to place his hands on them, but the disciples rebuked them.
When Jesus saw this, he was indignant.
— Mark 10:13-14
というエピソードの時の御言葉です。そしてそのように仰られてから、
そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
— マルコの福音書 10:16
And he took the children in his arms, placed his hands on them and blessed them.
— Mark 10:16
心に染み入るエピソードです。
神様はこのようにして我々人間に教えて下さるのですね。
諭して下さるのですね。
しかしながら、残念ながら、往々にして大人という者は
生きてきた僅かな年月だけで
経験と知恵を積んだと思い込み
その限りある世界観の中だけで
偏った情報や既成概念の中だけで
真理や真相を見ようともせず
あらゆることを判断し
世を、人を、裁いていく
大いなる勘違い
高慢ちきなヤカラ
と言えるのではないでしょうか。
あなたはどうですか?
以前の私はこの通りの人間でした。
そうであったにも関わらず、
行き場を失い
暗闇の中で縮こまっていた
高慢ちきな人間が
絶体絶命だった時に
絶妙なタイミングで
知って見付けて下さり
ドラマチックに扉を叩いて下さり
聖なる光を照らして下さり
絶望の暗闇から引き上げて下さり
救い出して下さった
そのような我が主、我が神へはもはや感謝しかありませんし、その感動と共に、主が照らし続けて下さる光の中を、与えられた平安と歓びの中を歩んできた一年でした。
信じるということは、私にとって難しいことではありませんでした。
信じる以外に何があったでしょうか?
人生最大の危機を助けて下さったのは、神様に他ならなかったのですから。
有り難いです。
有り難すぎます。
そのような主をお迎えでき、しもべとなれた私の人生は、以前と比べると遥かに遥かに幸せであり、もしかして今のこの生活の場も天国なのではないか!?
とさえ思えるように幸福度が高いのです。
主の御心に叶った人生を終えれば天国の門が開かれ、永遠のいのちを得られるとの約束もあるのですから、
メチャクチャ幸せです!!!
だからと言って、今のこの信仰を
キリスト教
という定義では捉えていません。
信じるのか
信じないのか
それだけだと思っています。
では最後にとっておきなお話を。
天国へ行った時に最初にコルトンくんの手を引いたのは、イエス様でした。
曾お爺ちゃんやお姉ちゃんに会ったりして、楽しい時を過ごしていたコルトンくんでしたが、イエス様から「もう帰りなさい。」と言われてしまいました。
何故かというと…
「下から『私の息子を奪う気か!?帰してくれ!!!』という祈りが聞こえたから。」
イエス様はそう言われました。
コルトンくんのお父さんは神に怒りを感じ、相当凶暴性の強い言葉を発していたのですが、祈りは届いたのです。
祈りを聞いて下さる
祈りは届く
これこそがクリスチャンの特権かもしれません。
宇宙万物を創造された義なる神様が、王の中の王が、アダムとエバから引き継がれた罪深き人間の祈りを聞いて下さるのですから。
しかも無料で(笑
その神様が人間として降臨された時のお顔は
だそうです。
4歳の頃から天国のビジョンを見るようになったマキアナ・カラマリックちゃんが、8歳の時に描いた作品で、天国で実際にイエス様に会ったコルトンくんのお墨付きです。
「君が会ったイエスはこの絵の中にいる?」
と、何枚かの宗教画を見せながら、お父さんは息子に聞いていたのですが、どれも
「全然違うよ。」
と、けんもホロロだったコルトンくん。
が、ある日マキアナちゃんが描いた男性の肖像画が目にとまった彼は
「これがイエスだ!!」
と、叫びました。
天国を見て来た少年
天国のビジョンを描く少女
のイメージが一致したのです。
知り合うはずのなかった二人が
「イエスの髪の毛はフサフサしてて、眼の色は翠がかったブルーだよ。」
と。
そうだったのかっっっ!!!(驚)
それ以来、七星のiPhone待ち受けは、こちらのイエス様でございます。
大人は子供から学ばなければならないことがありますね😁
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