神様が養って下さった貧乏生活一年間

初めて教会を訪れてから、一年が経ちました。
忘れもしない昨年の6月17日。

イエス・キリストについて
教会について

何も知らなかった私が、映画『サン・オブ・ゴッド』でイエス様と奇跡の出会いを果たし、イエス様の十字架磔刑に大ショックを覚え、その短い生涯で行われた愛に満ちた癒やしや奇跡に大感動し、私の心を捉えて離さないイエス様のことだけを考える日々の後に、浦安国際キリスト教会に温かく迎え入れられ、今日に至ります。

人生で初めてドン底に突き落とされ、崖っぷちであった日々に神様が共におられた。

それがどういう日々であり、どういうことであったかを正直に綴ることにより、かつての私と同じような悩みを抱えている方に光が射すきっかけになれば幸いです。

クリスチャン人口が1%に満たないことから、ほとんどの日本人は仏教系(カルトを含めて)を信仰、意識は全く無いが代々檀家、無神論者に分類できるかと思います。

かつての私は「宗教」と名の付くものが大嫌いで、それに巻き込まれる人は哀れだと思っていました。

病気や貧乏や家庭騒動で藁をも掴む想い

そこに付け込まれアプローチされる

コンコンと説得される

これで幸せになれる!と信者になる

マインドコントロールされる

啓蒙活動という名のセールス部員になる

幸せになれると諭され脅され大金を献金する

家元は金まみれでウハウハ

という図式が成り立っていました。

モデルは創価学会です。
相方が生まれながらの学会員でしたので、充分に見聞きしていましたし、その関係から、私も何度か座談会やイベントにも出席していましたので、ザックリ言うとこのような感じでした。
もちろん、私と亡き父とで、相方を創価学会から脱退させましたが、「地獄に落ちる!」と言われたことを今でもよく覚えています。

つくづく哀れだなと。巻き込む方も巻き込まれる方も。

宗教法人は無税ですから、信者からお金を巻き上げられれば、家元は金まみれで我が世の春を一生謳歌できます。

人間が自分の力ではどうすることもできない悩みにフォーカスし、信じれば最高の境涯が得られ、病も消え、金持ちになれる!

と、その人の未来を見せる。
経営者のハシクレとして言わせていただきますと、これって最強のビジネスモデルなんです。

まぁ何故に埋もれていた日蓮のカルト宗教を戦後に持ち出してきたのか!?というナゾナゾが浮かびますが、心の弱い人はすがってしまうのでしょう。

それに比べてキリスト教に関しては、元々悪いイメージを持っていませんでした。
クリスマスが温かくてキラキラしてて、私の世界観とドンピシャだったこともありますが、人々のために生き抜いたクリスチャンの生き様を見聞きしては、尊敬の念と共に心を動かされていましたので。
何処かとはエライ違いとも思わされていましたね。

だからと言って、自分がクリスチャンになるとは思ってもみませんでしたし、自分にとって都合の良い神様がいて、時々天を見上げながら感謝し、いつか機会があれば聖書を読んでみようかな…

ぐらいの気持ちしかありませんでした。

素敵そうなキリスト教と言えど、組織に巻き込まれるのはイヤでしたし、献金もあるでしょうから、そういうこととは無縁でいたい。
自分なりの神様や宇宙と繋がって、自分を高めながら、自分らしい自分の人生を生き抜いていきたい。
所詮、宗教にすがりつく人は弱くてバカなのだから、自分はそういう人と一線を画し、プライドを持って誇り高く、私らしい華麗なる薔薇色の人生を生きていくのだ。

本気でそう思っていました。何も疑わずに。

ところが、長年評判が評判を呼ぶほどの大人気経営スクールにも少しずつ少しずつ陰りが見え、それをテコ入れするために、広告業者やウェブサイト制作者やSEO業者等へ多額のお金を注ぎ込んだものの、何の成果も得られず、固定費や講師へのギャランティーへの支払いのため、父が残してくれた遺産を切り崩しながらしのいでいましたが、そんな生活が続くわけもなく、終にはスクールの閉鎖を決断せざるを得なくなりました。

その決断を正式に聞いた生徒さんたちの号泣の中、昨年3月末に閉鎖。
所持金は二人で一ヶ月生活できるお金のみ。
テナントビルを撤退する大金もありませんでしたから、初めて借り入れ申請をし、ラッキーなことに受け付けられましたが、ギリギリのお金しか借りれませんでしたので、二人が手にしているのは一ヶ月のみの生活費でした。

二人共立派な中高年です。そのようないい歳になってお金が無くなりました。

思えば、富裕層の父のひとり娘として、何不自由なく人さまよりワンランク上の生活を、何の有り難味も感じずに普通のこととしてやり過ごしてきました。

それは当たり前
それは私の特権
それは私が選ばれたから

そんな勘違いプライドが、いい歳になって初めて砕かれたワケです。
プライドもへったくれもあったものではありません。
お金が無いのですから。
どうやって生きていけばいいのでしょうか。

私の辞書には「貧乏」という二文字は有り得なかったハズなのに、現実として突きつけられたのです。

惨めでした。心の中はズタボロでした。

死のうかな。。。

一度だけ思いました。

いつもポジティブで元気で前しか向いていなかった苦労知らずお嬢気質の私が。。。

そんな時、テナントビル撤退費用を複数の業者へ支払い終わってからすぐのある日…

「観てみれば?」

と、軽い気持ちで勧めてくれた相方に便乗して、

「美しいキリストを観てみたいし、気晴らしにはなるかも。」

だけの気持ちで観た映画で大逆転が待ち構えていたのです。

その映画を観るまでは、

キリストって神様から遣わされた人間で、
歴史に残る偉大な教師&宗教家なんでしょ?

という知識しかありませんでしたが、その時に観たキリストは今までの概念を見事に覆し、私の目も心も全てをキリストに向かって開かせてくれたのです。

「ジーザス・クライスト・スーパースター」とは言うけれど、

スーパースターなんてもんじゃない!
いったいこの方は!?
神様??
神様なの???

理由も見つからないまま焦りながら驚いて、驚いては感動して、その時には何が何だかサッパリ判りませんでしたが、今なら判ります。

八方塞がりの、出口が見えない暗闇の中に怯えながら、迷路に迷い込んで震えていた私を

イエス様自らが捜し出して下さり

拾い上げて抱えて下さり、いるべき場所へ連れて行って下さったのです。それは静かなノックというよりは、激しいノックでしたが、私は迷わず心の扉を開きました。
静かなノックではきっと気付かないボケボケですから、神様はよくご存知です(笑

その後、二回目の教会訪問時の6月20日に、牧師先生と共に初めてイエス様の御名を通して、号泣しながら父なる神様にお祈りを捧げた時、明らかに煌めいた何かがスパーク(おそらく聖霊様です)してから、三位一体の神様に見守られながら、包まれながら、ここまで無事に生き抜くことができました。

お金が無いからもう生きることはできない…

と思ってからこの一年間。

不思議なことに、その都度に応じてお金が入ってきました。

不用品の販売・換金
知人から貸金の返済
市からの給付金
市融資からの利子補給金

などなど、数え上げたらキリがないのですが、私の勝手なイメージでは…

天から降ってくる…正にそのような感じでした。

それに加え、音楽の仕事しかしたことがなかった相方が、日本の超優良企業に契約社員として採用され、はや7ヶ月を過ぎた今、今月末にボーナスが出ることにもなり、そのあまりの奇跡にただただ驚いている今日この頃です。

方や私は、暫くはこの信仰を第一とすることを神様に誓い、祈りと奉仕と聖書拝読及び勉強に時間を費やしてきました。

私に残された人生はイエス様と神様と共にしかない!

と、心より熱望し渇望した結果ですが、こんないい歳まで神様から離れて的外れな人生を生きてきたことへの後悔と反省、そして、自己中心であった自分を最初から愛して下さり、罪から開放して下さった神様への感謝と共に、全知全能の神様から生きる指針と知恵をいただかないことには、新しい事業を起こすことはできないとの想いで、神様へ一心不乱でした。

何を悠長なことを!?

と、思われましたか?

が、アルバイトに身を費やさなかった私に、神様はその都度に応じて私と相方が生きていけるお金を恵んで下さったのです。

幼な子のような気持ちでした。

母がいない私にとって、父が亡くなったことは大きな痛手であり、心の中にポッカリと大きな穴が開いていましたが、実は全ての創造者であるお父様が天にいらっしゃった。
その方が私を造って下さった。

その驚くべき事実が判ってからは、

ある時は号泣しながら
身もだえしながら
地に這いつくばるような形相で
私の過去を詫び
私を見付けて救い出して下さったことに感謝し
お礼を述べ
節約に節約を重ねて作った食事を
美味しくいただけることに感謝し
1,080円の服を見付けた時にも感謝し
(一年間、この服しか買っていません)
何かがあった時
何があった時でも
歓喜しながらお礼を述べ
神様のお優しく深い思いやりのお心を

賛美してきました。

そして一度たりとも、この行為を宗教とは捉えてきませんでした。

私の場合は誰かに勧誘されたわけではありません。

キリスト教を信仰しなければ
献金しなければ
伝導しなければ
地獄に落ちる

とも言われていません。
マインドコントロールもされていません。

人生最低最悪の時に助けて下さった方が神様だったのです。

一ヶ月の生活費しかなかった我々が
どうやって一年以上も生き延びてこれたのでしょうか。

答えは明らかです。

人智を超えた、奇跡の御業を成す方にしか成し得ません。

今でも不思議に思います。

神様はどのようにして私を見付けて下さったのだろうかと。
どのようにして私の悲惨な状況をお判りになられたのであろうかと。

そして打ちひしがれている私を憐れみ
分不相応な恵みと祝福を与えて下さった

感謝しかありません。
人から感謝しなさいと言われていません。
私が私の想いで神様へ感謝しているのです。

神様に全てを委ねてから、新事業の構想が降りてきて、この春に立ち上げることさえできました。
深い祈りの日々の中で、コレだ!と思える内容を思い付きました。

日本でも、おそらく世界でも、私が立ち上げた事業はありません。
私にしかない強みで、多くの方を幸せにできる内容です。

神様からお知恵をいただいた。
神様が導いて下さった。
神様がパートナーになって下さった。

これ以上の歓びが他にあるでしょうか。

これからの私に残された人生は

より一層神様を信頼し
神様がご計画下さった道を
神様と共に歩み続ける

この一筋の道しかありません。

多くの人を幸せにできて
借金が完済したら
神様へいただいたお金を返していこう

それだけが私の願いです。

私と相方は、例え収入が満ちても、

今までと同じ質素な生活を心がけ
他にパラダイスを見付けるのではなく
自分たちの強みを活かした仕事で
他人に愛を持って接し
人生を全うしよう

そう考えています。
幸せです。

昨年の8月にこのブログを開設した時には、まだまだ駆け出しのヒヨッコでしたので、ここまで冷静に当時の状況を綴れなかったという事情がありましたが、もし今、この記事を読んでいるあなたが辛く苦しい状況であっても、それを必ず良い方向へ正して下さる神様という存在があることを、頭の片隅にでも留めていただければ嬉しいです。

根本的には、人間が人間を救うことはできません。
それがおできになるのは神様だけです。

ではラストは、以下の聖句をお読み下さい。

自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
—マタイの福音書 6:25
Do not worry about your life, what you will eat or drink; or about your body, what you will wear. Is not life more than food, and the body more than clothes?
— Matthew 6:25

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
—マタイの福音書 6:26
Look at the birds of the air; they do not sow or reap or store away in barns, and yet your heavenly Father feeds them. Are you not much more valuable than they?
— Matthew 6:26

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
— マタイの福音書 6:30
If that is how God clothes the grass of the field, which is here today and tomorrow is thrown into the fire, will he not much more clothe you—you of little faith?
— Matthew 6:30

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
—マタイの福音書 6:31-32
So do not worry, saying, ‘What shall we eat?’ or ‘What shall we drink?’ or ‘What shall we wear?’ For the pagans run after all these things, and your heavenly Father knows that you need them.
— Matthew 6:31-32

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
— マタイの福音書 6:33
But seek first his kingdom and his righteousness, and all these things will be given to you as well.
— Matthew 6:33

この通りの一年でした。

アーメン


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神様が養って下さった貧乏生活一年間」への2件のフィードバック

  1. 先ほど「サン・オブ・ゴッド」の記事にコメントさせていただいた者です。
    再びのコメントをお許し下さい。

    こちらの記事、私のこと?と思うほどよく似ていてびっくりしました!!
    私も裕福に育ち、お金に困ったことがない人生だったのに、
    貧乏のどん底に突き落とされ、来月の家賃も払えない状況に。
    もう絶望しかありませんでした。

    そんな時に神様と出会い、必死で祈るうちに
    なぜか必要なお金が与えられるようになりました。
    そして心が平安に満たされるようになり、
    前みたいに裕福ではないけれど、毎日が喜びでいっぱいです。
    神様はいらっしゃる!奇跡を起こして下さる!と確信しています。

    同じように絶望の淵にいらっしゃる方々に
    ぜひ七星さんのこの記事を読んでいただきたいです。
    そんな方達に神様の大いなる祝福と恵みがありますように。
    アーメン。

    いいね: 1人

  2. とんでもございません、バニラさん!
    連投大歓迎ですので、そのように思わないで下さいね。

    しかしそうでしたか!!
    ドン底崖っぷちでいらっしゃったのですね。
    それはそれはさぞかしお辛かったことでしょう。
    もうもうお気持ち判りますお察しします。
    おそらくは光が見えない暗闇の中で呆然としていらっしゃったのではないでしょうか。
    私が正にそうで、出口が見えないまま怯えながら震えていましたので。
    そんな最中にイエス様登場!だったのですね。
    光が見えてきたのですね。
    光が照らされたのですね。
    自分のことのように嬉しいです。

    思えば、心の奥底の苦しみや悲しみを主の前に注ぎ出し、なりふり構わずイエス様の着物の裾を触りに飛び出た長血をわずらった女のように、必死で祈る日々でした。
    何もかも砕かれた私は主にすがりつくしかなく、全てを委ね預ける状態でした。
    すると思ってもみなかったところから収入があったり、その他色々な方法で何とか持ちこたえ、お金が無いながらも今日まで無事生きてこれました。
    もちろん、神様に養っていただいていること、一方的に憐れみと恵みをいただいていることは解っていましたが、それにしても人間の想像を遥かに超えた方法で奇跡を見せて下さいますので、未だにクラクラしています(笑

    そして正直、今も裕福とは程遠いのですが、
    満足感と幸福度がとても高いんですね。
    さながら神様の大きな大きな翼の中でかくまっていただきながら平安に過ごさせていただいている…
    そんな気がします。

    この世で主だけが良い牧者です。
    そして私たちは飼われている羊。
    純金や宝石よりも尊い主の血により贖われ、買い戻された羊です。

    これからも益々、バニラさんに主の御顔が向けられ、大いなる祝福と恵みが注がれますように。
    アーメン。

    ではまたお気軽にコメント下さいね。
    サボっていた記事を更新しなくては!(苦笑

    いいね

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