ナポレオンのキリスト教への信仰告白

ナポレオン・ボナパルト
その名を知らぬ者はいない偉人の中の偉人。
我が辞書に不可能の文字はない
真っ先に思い出される名言でしょう。
実際の言葉は
“Impossible is a word to be found only in the dictionary of fools.”
直訳すると
「不可能という言葉は愚か者の辞書にしか存在しない」
となりますが
上記の意訳はけだし名言かと思います。
そして彼は様々な名言を残しており

「兵士たちよ、4000年の歴史が諸君を見ているのだ」
エジプトを支配していたマムルーク朝の軍隊との決戦を目前に控え、16キロほど先のピラミッドを指差しながら、全軍に呼びかけた言葉です。
何とここぞ!という時の言葉を知っている方だったのでしょうか。
シビレます。
また
「あなたの能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自信の思い込みなのです」
「強い人が勝つとは限らない。素晴らしい人が勝つとも限らない。私はできる、と考えている人が結局は勝つのだ」
「あなた自信が信じていないことは、口で言っても、書いても、また、どのような行動をしてみても、他人を動かすことはできない」
これらの言葉は私の心にグサグサと突き刺さりました。
有言実行者でない限り、言えるワケがない言葉だからです。
その比類なき言い切りパワー、間違いのない言葉に何度励まされたことでしょう。
もはや軍人&政治家を超えた哲学者、もしくは預言者的な神性を秘めた方なのかとも思わされていました。
イエス様が私の前に現れるまでは。。。

思うに、フランス革命という名の下に王制が廃止され、その牽引者であるロベスピエール率いるジャコバン党によるギロチン処刑=血塗られた政治に支配され、それに加え、そのような悲惨な革命が自国に及ばぬようにと各国から侵略され、崩壊寸前にまで追い詰められていたフランス。
そんな情勢を背景に、突如、コルシカ島田舎貴族出の若干24歳だった青二才下士官が、その天才的軍事的手腕で各地に進撃し連戦連勝後、またたく間にヨーロッパの大部分を手中に収めたのですから、正にフランス国民が待ち望んでいた救世主とも言えたのではないでしょうか。

彗星の如く登場した革命の落とし子は国民投票により、遂に一介の平民から皇帝へ上り詰めたのです。
たった10年で。
もはやナポレオンにたてつく国は存在しませんでした。

その上あろうことか、戴冠式で自ら冠をかぶり、皇后となる妻ジョセフィーヌにもそれを授けるという行動に出たのです。
それまでは、カトリック国の君主ヴァチカンのローマ教皇の元に赴き、戴冠されるのが常識であったのに、その教皇ピウス七世をパリに呼び寄せながらも、その神聖なる仕事を新皇帝は彼から奪ったのですから、当の教皇も心外かつ立場がなかったことでしょう。
「自分は神によってでなく、国民の意思によって皇帝になるのだ。教皇の手で冠をかぶせてもらうのは妥当ではない」
何というオレ様度!
以前の私であれば思わず「ブラボー!」と叫んでいたことでしょう。
以前の私であれば。。。

と思いきや
聖書はただの書物ではない。それに反対する全てのものを征服する力を持つ生き物である」
とのナポレオンの発言をたまたま目にした時、我が目を疑いました。
誰をも恐れず神をも畏れず、カンペキに自己完結していた天才の中の天才が、何故に聖書を読む気になったのだろうか?と。
「キリストは愛によってひとりで天国を建設したが、今日までキリストのために何万人という人々が死んだことか!」
と皮肉にさえ思える発言もしていたというに。
そのように、彼の聖書をより処とする精神性に疑心暗鬼モードであった私に、更なる衝撃の事実が舞い込んできたのです。



私は、大胆に、キリストを信じますと、大声で告白できなかった。
そうだ、私は自分がクリスチャンであると、告白すべきだった。
今、セントヘレナにあって、もはや遠慮する必要はない。
私の心の底に信じていた事実を告白する。
私は、永遠の神が存在していることを信じる。
その方に比べると、バートランド大将よ、貴方はただの元首に過ぎない。
私の天才的な全ての能力をもってしても、このお方と比較する時、私は無である。
完全に無の存在なのである。

私は、永遠の神キリストを認める。
私は、キリストを必要とする。
私は、キリストを信ずる。

私は、今セントヘレナの島につながれている。
一体誰が、今日私のために戦って死んでくれるだろうか。
誰が、私のことを思ってくれているだろうか。
私のために、死力を尽くしてくれる者が今あるだろうか。

昨日の我が友はいずこへ。
ローマの皇帝カエサルもアレキサンダー大王も忘れられてしまった。
私とて同様である。
これが、大ナポレオンと崇められた私の最後である。

イエス・キリストの永遠の支配と大ナポレオンと呼ばれた私の間には、大きな深い隔たりがある。
キリストは愛され、キリストは礼拝され、キリストへの信仰と献金は、全世界を包んでいる。
これを、死んでしまったキリストと呼ぶことができようか。

イエス・キリストは、永遠の生ける神であることの証明である。
私ナポレオンは、力の上に帝国を築こうとして失敗した。
イエス・キリストは、愛の上に彼の王国を打ち立てている。



ナポレオンの遺書です(シカゴ大学図書館保存)。
クリスチャンだったのですね。
だから聖書を。。
衝撃が隠せないながらも心が震えました。
天下無敵だったフランスの英雄の最後の想い。
絶頂期を迎えてから跡継ぎを残す必要に迫られ、不妊の妻ジョセフィーヌを離縁し、ハクをつけるため名門ハプスブルク家のマリア・ルイーザを、18歳のプリンセスを42歳の男が娶り、一子をもうけたものの、後のナポレオン二世となるハズであった息子ローマ王と母は強制的にオーストリアへ連れ戻され、息子は幽閉後21歳の若さで死去、母はフランス皇帝の正妻でありながらも、フランツ一世よりあてがわれた貴族男性と不倫の末二子を産み、夫のことも息子のことも一切顧みることはなかった。
そのような一家離散の中、ロシア遠征で失敗し失脚したことにより各国から反旗をひるがえされ、エルベ島へ追放され、その一年後王座へ返り咲いたものの、ワーテルローの戦いに敗れ、南大西洋の孤島セントヘレナ島に流され幽閉の身となったナポレオン。
どれだけ名を轟かせようとも
真の友はいなかった。
真の愛もなかった。
全ヨーロッパは敵。
そんな失意のうちに病魔に冒され、死を待つだけとなった彼の胸中を思うと、本当に涙を禁じ得ません。
が、最期やっと真実を悟り、キリスト教徒として心の底より信仰告白したのですから、死の手前といえどその想いはイエス様へ、神様へ、届いたと信じています。
やっと「」が見付かったのですね。
やっと「心の平安」を得られたのですね。

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。
— ヨハネ 14:21

Whoever has my commands and keeps them is the one who loves me. The one who loves me will be loved my Father, and I too will love them and show myself to them.
— John 14:21

本当の「王座」とは何か?
本当の「権威」とは何か?
を実に考えさせられる話でした。
人間の限界を超えた人間であっても
神とつながらない人生は
的外れの人生である
その答えは、鍵は、
主イエス・キリストただおひとりが持ってらっしゃいます。

それではまた!

See you next time!

クリック応援お願いします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

One thought on “ナポレオンのキリスト教への信仰告白

  1. すばらしいサイトをありがとうございます。ナポレオンの言葉を探していて、こちらに辿り着きました。彼は本当にイエス様に出会えたのだなと思いました。
    私も本の中に書いてあったのを感心して読みましたのでシェアしますね!
    以下、「徹底検証キリスト教」より抜粋
    ナポレオン・ボナバルトでさえ、次のようなことばを残している。
    「私は人間というものを知っている。だから言おう。イエスキリストは人間ではないと。物事を表面的にしか見ることのできない者は、キリストが他宗教や諸帝国の創始者たちと同じような存在だと考える。しかし、実際はまったく似ても似つかない。キリスト教はいかなる宗教からも無限にかけ離れている。私はキリストのすべてに驚かされる。イエスの精神は私を圧倒し、イエスの意志は私を狼狼させる。地上に存在する何者もイエスに比することはできず、比較することばも見つからない。イエスは真の意味で生きておられる。イエスの思想と教え、イエスが宣言する真理、イエスの持つ説得力は、人間が作り上げた組織や自然界に存在するもので説明することはできない。近づけば近づくほど、入念に調べれば調べるほど、すべてが私などには及ばないものだ一すべてが崇高であり、その圧倒的な崇高さで迫ってる。イエスの真理は到底、人間の知性が開いたものではありえた…イエスのような生き方は、その真似ごとでさえ、だれにも、どこにも絶対に見つけられない。それはイエスにしかない生き方である。…私は歴史を調べて、イエスに似たような人物、福音と似たものを探してみたが、徒労であった。歴史も、人類も、時代も、自然も、福音に匹敵するものや、福音を説明するものを提供することはできない。すべてが常識を超えているのだ」(Grounds、ROH、37における引用)。

    いいね: 1人

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中