リオ五輪を見守るキリスト像

リオ五輪2016がもう間もなく終わろうとしている中、日本選手団の奇跡のような大活躍に熱狂すると同時に、もうひとつ個人的な楽しみがありました。
それはズバリ!

イエス・キリスト像です。

もうお馴染みの光景ですよね。
実は、イエス様へ特別な想いを寄せていなかった時代も、その像の持つ精悍な美しさと、有り得ないほどの絶景さに圧倒され、心を奪われ、クラクラしていた自分がいました。
例え、イエス・キリストが存在した意味を知らなかったとしても、信仰心が100%無かったとしても、そんなものを遥かに超えて魅了されていたのですから、今考えるととても不思議です。

正に息を呑む壮大さ!
その神々しいお姿には言葉もありません。
イエス様が見ている。。。
と思うだけで、それが仮に像であっても顔が赤らみ、ただただ見惚れてしまいます。
もちろん、聖書では偶像崇拝を禁止していますが、
見ているだけなら良いですよね。
それだけで幸せになれますから。

さてと、そのリオ・デ・ジャネイロ
ブラジル南東部に位置する南米一の大都市であり、世界三大美港にも数えられる自然豊かなエリアで、その美しい景観が全て見渡せるコルコバードの丘に、キリスト像が建っています。
そして驚くべきことに、ブラジル国民の80%がキリスト教徒ということで、「キリストの神様が見守る街」という願いが込められているのだとか。
素晴らしい信仰心ですね。
胸が熱くなります。
思えば、ポルトガルにより発見されて以来、長きに渡り植民地として苦しい状況にあったブラジルがやっと独立を獲得し、その100周年記念として建立されたキリスト像には、それこそ特別な想いがあることでしょう。
心が温まります。
それに、イエス様の大きく広げられた腕と手から感じられる優しさ。
映像を通してでさえ、包まれている気分に浸れます。
ならば尚更、直に訪れた人々はその巨大像に驚嘆しながらも、救世主から温かく祝福されているように感じ取れるのではないでしょうか。

しかしながら、リオ五輪後半でその幸福感をブチ壊してくれる残念な事件がありましたね。
アメリカ金メダルスイマーとその一味によるここでは書くこともはばかれる狂言失態。
実に開催国に失礼ではありませんか!
あまりのスポーツマンシップの無さと低レベルな幼児性には呆れ果てました。

が。

さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
— マタイ 7:1-2

Do not judge, or you too will be judged. For  in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you.
— Matthew 7:1-2

あ。。。。。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか?
— マタイ 7:3

Why do you look at the speck of sawdust in your brother’s eye and pay no attention to the plank in your own eye?
— Matthew 7:3

う。。。。。

偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
— マタイ 7:5

You hypocrite, first take the plank out of your own eye, and then you will see clearly to remove the speck from your brother’s eye.
— Matthew 7:5

ギクッッッ!!!

相変わらす手厳しい我が主です。
隣人を裁くあなたは何者なのだ?と。
イエス様と出逢うまでは、自分はけっこういい人だと思っていました。
が、そんなのは大いなる幻想、勘違いも甚だしい。
何と他人の欠点や短所には目ざといことか!
待ってましたとばかり喰らい尽く。
自分のことは棚に上げ、いや、ロッカーに入れて鍵をかけ、他人はすぐ裁き批判する。
まるで麻薬のような喜びと快感。
律法を定め、裁きを行えるお方はただひとりだというに。
だからこそイエス様は、この人間に巣食う強く醜い習性を我々に気付かせ、そこから開放=救って下さっているのだと思います。
これぞですね。
男女が陥りがちな、数々の甘言の後の幻滅と争い。
金の切れ目が縁の切れ目な打算的愛とは全く持って反対な愛の本質。
サスガは我が主です我らが救世主です。
イエス様が益々好きになりました。

また、上記の事件とは正反対の感動的エピソードもありましたね。
陸上女子5000メートル予選で接触して倒れ、互いを助け合った米国とニュージーランドの選手の話です。
共に転倒した後、先に立ち上がった米国のダゴスティノ選手は、地面への強打で起き上がることが不可能だったニュージーランドのハンブリン選手の脇を抱えて助け起こし、「立って。最後までやらないと。」と励まし、レースを続けました。
が、ダゴスティノ選手が足首を負傷していることが次第に明らかになると、今度はハンブリン選手が相手を励まし続け、先にゴールした後も彼女を待ち続け、足を引きながら最下位でゴールインしたダゴスティノ選手はハンブリン選手と涙ながらの抱擁を交わした後、車椅子でトラックを後にしたのです。
私は二人の中に「愛」を見ました。
人間がこのような愛を実践できるのか!?
人間って捨てたもんじゃない!
だからイエス様。
我々が神様が望んでおられる人としての道を外れないよう、愛を持って教えて下さり、導いて下さっているのですね。

イエス様がコルコバードの丘から見守り続けて下さったリオ五輪も、間もなく閉会式を迎えます。
史上最多のメダル獲得となった日本選手団からたくさんの元気と勇気をいただき、また、信仰心の篤いブラジル国民にとても親しみを感じることもでき、心に残るオリンピックとなりました。
自分の新しい仕事が軌道に乗った暁には、真っ先にコルコバードの丘へ行きたいですね。

そこで日がな一日イエス様像を拝んでいる日本人のオバちゃんがいましたら、それは七星ですので宜しくどうぞ(爆)

See you next time!

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リオ五輪を見守るキリスト像」への2件のフィードバック

  1. イエス様の輝く光によって、今まで、見えなかった心の部分が見えるようになったのは何と幸いなことかと思いました。 オクダイラ

    いいね: 1人

    1. 奥平先生

      コメントをありがとうございます!
      ハイ、本当にそのように思います。
      今まで「どうでもいいんじゃない?」とか、「私には関係ないし」と、大胆に切り捨てていた人間として一番大切な部分を、今はひとつひとつ丁寧に拾い上げている状態です。
      聖書を読みますと実にハラハラドキドキさせられますが、イエス様の輝く光により心の目が開かれていくことに、大いなる歓びと幸せを感じています。
      そう、盲人だったのですね。暗闇の中にいたのです。
      イエス様は眩し過ぎて、とても厳しくて。でも大好きです!^^

      いいね

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